満州国演義(全9巻)を読んで
「満州国演義」は昨年(平成27年)亡くなった船戸与一の遺作である。この作家の本は昨年まで読んだことが無かったが、気になる作家だったので亡くなった後、直木賞を受賞した「虹の谷の五月」を読んだ。そのことは「平成27年後半印象に残った本」に書いてある。
その時にこの全9巻に及ぶ「満州国演義」を知り、今年(平成28年)1月から読み始めた。この本は平成19年(2007)に第1巻「風の払暁」が刊行され、昨平成27年(2015)2月に第9巻「残夢の骸」の刊行によって完結したが、最初に「週刊新潮」に連載されてから約10年の歳月を要し、原稿枚数は7,500枚を超えるといわれる大作である。作家自身も長期間満州に滞在し取材をしたそうである。また最終巻の巻末には13ページに及ぶ参考文献が載せられている。
しかも作家の船戸与一は平成21年(2009)に癌が発見され闘病を強いられた中での執筆だった。そして最終巻の刊行2ヶ月後に胸腺癌で亡くなったのである。
この本は「演義」とある様に正史から外れた物語として書かれているが作者は隠されていた事実や埋もれていた資料を発掘しようとは一切しなかったと言っており、歴史の流れの中で満州に係わる4人の兄弟の生きざまを捉えた書き方になっている。
第1巻「風の払暁」 昭和3年(1928)の張作霖爆殺事件から始まる。この事件は関東軍が独断で実行したもので満州事変の遠因となった事件である。そして敷島家の4人の兄弟、外交官の敷島太郎、馬賊の頭領の敷島次郎、陸軍憲兵将校の敷島三郎、無政府主義に傾倒する早大生の敷島四郎、それぞれがまったく別の視点から満州を巡る情勢に係わって行く導入部の構成である。
第2巻「事変の夜」 昭和6年(1931)関東軍の謀略により柳条湖事件が発生した。それが満州事変に発展するのだがその頃世界恐慌により日本内地では深刻な窮乏の底にあり国民の満蒙にかける期待が大きく、関東軍の傍若無人な行動を是認するようになって行く。敷島4兄弟も外交官の本分を守ろうとする一郎と満蒙領有に共鳴する三郎との対立、裏切りにより部下を失った次郎。四郎は阿片中毒になりそれを癒している。
第3巻「群狼の舞」 関東軍は満州全土に勢力範囲を広げて行き、国際世論は批判を強めて行く。その矛先をかわすため関東軍は上海事変を引き起こして世界の耳目をそらせ、昭和7年(1932)3月に満州国を独立させてしまう。その頃日本では昭和7年5月に五・一五事件が発生し、犬養首相が暗殺されている。また翌昭和8年(1933)2月に国際連盟を脱退してしまう。敷島家の4兄弟は太郎が満州国の高級官僚になり、3郎は満州国の財源とするための熱河の阿片に係わる。次郎や四郎は中国人からただ同然で取り上げた農地に入植した移民団に係わった仕事をする。
第4巻「炎の回廊」 昭和11年(1936)2月26日の二・二六事件の背景や詳細が描かれている。この事件は陸軍の青年将校によって引き起こされたクーデターである。狙われたのは岡田啓介首相、鈴木貫太郎侍従長、高橋是清大蔵大臣、斎藤実内大臣、牧野伸顕前内大臣などで、1400名余の兵隊を集め、警視庁、宮城を占拠しようとし、高橋大蔵大臣、斎藤内大臣が殺され、鈴木侍従長が重傷を負った。しかし天皇の強い意思でクーデターは失敗に終わったのだが、この事件以来日本は軍部独裁が助長されていくのである。満州では8路軍などのゲリラ戦が活発になって来る。敷島4兄弟もそれぞれの立場で時代の流れに巻き込まれて行く。
第5巻「灰塵の暦」 昭和12年(1937)7月7日に北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍の間で戦火が交わされ支那事変が始まった。満州には日本から多数の移民が送られてきて現地の住民とトラブルを起こす。抗日ゲリラも暗躍する。支那事変では中国軍との戦いのなかで日本軍兵士は住民に対し略奪、殺人、強姦を繰り返しながら上海から南京に進み南京を占領する。南京での大虐殺事件は敷島4兄弟の憲兵大尉三郎と報道機関の記者となった四郎が目の当たりにする。
第6巻「大地の牙」 昭和12年暮に南京は陥落したが、中国軍は漢口に首都を移して戦いを続け、中国共産党もゲリラ戦を仕掛けてくる。日本軍は漢口を落としたが中国軍は更に奥地の重慶に首都を移す。日本軍が確保できているのは主要な都市だけでその間を結ぶ道路を含め、それ以外は皆敵地であるという状態で戦闘は泥沼化して行く。そんな中、国境線侵犯の小競り合いから満州北西部のノモンハンで関東軍+満州国軍とソ連軍+モンゴル軍が大激戦をしたノモンハン事件が起き、戦車に対し火炎瓶で立ち向かった関東軍は壊滅的大損害を受ける。敷島三郎がその状況を目撃する。
第7巻「雷の波涛」 昭和15年(1940)ナチスドイツのポーランド侵攻から世界大戦が始まり、日独伊三国軍事同盟締結、仏印に対する日本陸軍の進駐などが続き、ついに昭和16年(1941)12月8日に太平洋戦争が開戦する。著者はその中でマレー半島上陸作戦からシンガポール攻略までについて述べている。敷島4兄弟のうち次郎、三郎はその作戦に加わっている。
第8巻「南冥の雫」 昭和17年(1942)6月ミッドウェー海戦で大敗北を喫し、以後太平洋での制海権、制空権を失った。同年4月暗号が解読されて山本五十六司令長官が戦死した。また同年8月米軍のガダルカナル島上陸により補給路が途絶し、31,000人の守備隊の内戦病死者25,000人の大半が餓死かマラリアによる病死という悲惨な戦況になり、また昭和19年のインド・インパール作戦では食料、武器弾薬が尽きて飢えに苦しみ赤痢、マラリアに罹患し多くの兵士が死んで行ったのである。インパール作戦に加わっていた敷島次郎も罹患しそこで死んでしまう。
第9巻「残夢の骸」 昭和19年(1944)東条内閣総辞職、昭和20年(1945)8月6日の広島に原子爆弾が投下され同年8月9日にソ連軍の参戦、8月15日に日本政府のポッタム宣言受託と天皇の玉音放送があった。しかし満州に侵入したソ連軍は侵攻を止めようとはしない。ソ連兵による略奪、強姦などの混乱の中、敷島太郎はシベリヤに抑留された揚句自殺してしまう。敷島三郎は通化での武装蜂起に参加し戦死する。敷島四郎は三郎から託された孤児になった10才の少年を連れて日本に帰り広島市近くの祖父に引き渡し、一人広島に戻る場面で物語は終わる。
この9巻に及ぶ長大な「満州国演義」と並行して半藤一利著の「昭和史」[平成16年(2004)2月発行]を読んだ。この本には「1926→1945」という副題がついていて昭和元年(1926)から昭和20年(1945)までの出来事について書かれており、「満州国演義」で述べられている史実は殆んど網羅されている。 著者半藤一利は最後のむすびの章「三百十万の死者が語りかけてくれるものは」の冒頭で、
「昭和史は日露戦争の遺産を受けて、満州を日本の国防の最前線として領土にしようとしたところからスタートしました。最終的にはその満州にソ連軍が攻め込んできて、明治維新このかた日露戦争まで四十年かかって築いてきた大日本帝国を日露戦争後の四十年で滅ぼしてしまう、満州はあっという間にソ連軍に侵略され、のちに元の中国領土となるかたちで戦争が終わるという、昭和史とはなんと無残にして徒労な時代であったかということになるわけです。きびしく言えば、日露戦争直前の、いや日清戦争前の日本に戻った、つまり五十年間の営々辛苦は無に帰したのです。昭和史とは、その無になるための過程であったといえるようです。」
と述べている。そして満州事変からの八年間にわたる日中戦争から太平洋戦争での戦死者や沖縄戦、日本本土空襲による死者は約三百十万人を数えるとされているとも述べている。
「満州国演義」ではこれらの史実を敷島4兄弟以外の人物に語らせ、4兄弟はそれぞれの立場での日常の細かい出来事を語らせてて史実がどのように個々の人生と係わりあって行くのかを記して行くのである。
著者船戸与一は、あとがきで「小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない。歴史は客観的と認定された事実の繋がりによって構成されているが、その事実関係の連鎖によって小説家の創造力が封殺され、単に事実関係をなぞるだけになってはならない。かと言って小説家が脳裏に浮かんだみずからのストーリィのために事実関係を強引に拗じ曲げるような真似はすべきでない。認定された客観的事実と小説家の創造力。このふたつはたがいに補足しあいながら緊張感を持って対峙すべきである。」
そして「資料を読んでいるうちに客観的と認定された事実にも疑義を挟まざるをえないものがあちこちに出て来るようになった。(中略)こんな時ナポレオン・ポナパルトが看破した箴言が脳裏に突き刺さって来るのだ。― 歴史とは暗黙の了解のうえにできあがった嘘の集積である。」と言っている。
平成になって満州国の事、太平洋戦争の事を知らない人が増えてきており、戦後70年を過ぎて戦争と平和について深く考えるべき現在。多くの人に読んで貰いたい本のひとつである。
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コメント
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突然のコメント、失礼します。
実は私の所属しています劇団ピープルシアターでは、生前の船戸先生からお許しをいただき、船戸作品を舞台化しています。
今まで、砂のクロニクル・新宿、夏の死・蝦夷地別件と上演してきました。
この度、10月には満州国演義を上演します。ご興味がございましたら、ぜひ観にいらして下さい。
ピープルシアター
http://peopletheater.moo.jp/
投稿: 伊東知香 | 2017年7月 4日 (火) 16時27分