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2014年5月19日 (月)

上田千本桜観覧と塩田平逍遥3

4.塩田平(2)

④ 中禅寺

 塩田平の見所は別所温泉付近と、そこから3kmほど丸子方面に行ったところにある前山寺を中心にした塩田平中心部に分かれている。まず別所温泉付近の3寺院に参詣した後、北向観音駐車場から塩田平中心部にある中禅寺に向かった。

Img_3550_2Img_3551_2 Img_3554_3 Img_3552  中禅寺には国指定重要文化物の薬師堂と、同じく国指定重要文化物である本尊の薬師如来座像がある。ここの薬師堂は鎌倉時代初期の建立で、長野県ばかりでなく、中部地方で一番古いお堂だそうである。また長野県指定文化財の金剛力士像は平安時代末期の作で貴重なものだという。桜の花の下に佇む厚い茅葺きの薬師堂は存在感がある。高い台座に座った本尊の薬師如来も落ち着いた風格がある座像だった。(写真は中禅寺薬師堂、仁王門、薬師如来、解説文)

Img_3556Img_3558Img_3557  中禅寺の創建は2度の火災によって記録が焼失して不明であるが、薬師堂が創建当時の建物であるならば鎌倉時代初期から存続していた寺院だったと思われる。今の本堂は江戸時代中期の亨保19年(1734)建立されたもので、境内にはポプラ状に上に細く伸びた夫婦桜という桜が咲いていた。一つの苞から二輪づつ花が咲くのでその名があると入口にある「ちょん休庵」というお休み処の女主人が言っていた。珍しい桜である。(写真は中禅寺本堂、夫婦桜2景)

⑤ 龍光院

Img_3547_2 Img_3549_2  次に「塩田の館」に立ち寄り、続いて北条氏の菩提寺である龍光院に行く。「塩田の館」は塩田平の観光案内所・ビジターセンタ-である。「蚕都上田」をイメージした養蚕農家風の建物になっており、近くにある塩田城址から発掘された品などが展示されてある。また無料休憩所やそば処も揃っている。(写真は塩田の館入口、塩田の館庭園と建物全景)

Img_3563_3Img_3562_2 Img_3560_2  「塩田の館」の脇の道を折れ曲がって行くと龍光院に着く。龍光院の創建は弘安5年(1282)塩田北条の国時が、父である義政の菩提を弔うため仙乗寺を開山したのが始まりであり、塩田北条氏の菩提寺として庇護されていた。塩田北条氏が滅亡した後衰退していたが、関ヶ原の戦いの翌年である慶長6年(1601)に龍光院と改め再興された。(写真は龍光院正面、本堂と鐘楼、案内板)

 ここで塩田北条氏について記すと、塩田北条氏の祖である北条義政が鎌倉幕府の連署(執権に次ぐ位置)を投げ捨てて信濃の塩田の地に遁世したのは北条時宗が元寇で大変な時期である建治3年(1277)だった。背景には同族間の勢力争いがあったともいわれるが定かではない。

Shodajo1_2  義政はこの地に塩田城を築き、義政の子国時、その子俊時と三代に渡り約六十年、塩田北条氏と称し信濃の一大勢力としてこの地方を統治した。義政は教養人としても知られ、『新後撰和歌集』や『玉葉和歌集』、『続千載和歌集』などに多くの歌を残している。安楽寺八角三重塔は義政創建と伝えられている。また塩田北条氏の時代に、この塩田の庄には寺社が多数建立され、「信州の鎌倉」と呼ばれる鎌倉文化を今日に伝えている。(写真は塩田城跡の碑--別所温泉観光協会のページより転載)

 しかし、二代目の国時は元弘3年(1333)に新田義貞を中心とする反幕府勢に攻められ鎌倉幕府滅亡の際に塩田北条の一族を引き連れて鎌倉に駆けつけ宗家と運命を共にした。国時は子の藤時・俊時らと共に自害し、鎌倉北条一族とともに滅亡したのである。

 塩田城にはその後村上氏、武田氏が入ったが、武田氏滅亡後真田氏の支配下になり、上田城完成により廃城になった。昭和50年ごろ遺構の発掘調査が行われ、その時発掘した品は「塩田の館」に展示されている。

⑥ 前山寺

Img_0002 Img_3566Img_3573  龍光院から200mほど丸子よりにある前山寺(ぜんさんじ)は、塩田平では最も知られた寺院である。弘仁3年(812)に弘法大師空海による創建で、その後元弘元年(1331)に弘法大師の生誕地である善通寺から長秀上人が来てこの寺を大きくしたと伝えられている。
 その頃塩田城主は村上氏だったが、この寺は塩田城の鬼門に位置しており、塩田城の祈願寺(安全を祈る寺)だったといわれている。(写真は前山寺入山券、参道入り口の冠木門、薬医門---左奥に三重塔が見える。)

Img_3577Img_3578 Img_3580Img_3575  この寺には重要文化財指定の前山寺三重塔がある。室町時代の建立で、二・三層には縁や高欄、窓、扉が無く「未完成の完成の塔」と呼ばれているが、塩田平を代表する建物であり、この塔を見るためにだけ訪れる人も多い。(写真は前山寺三重塔4景)

Img_3581  前山寺本堂は萱葺きの立派な建物である。2年前の平成24年に23年ぶりに葺き替えたそうで、萱の厚みは1メートル近くありそうだ。名物の「くるみおはぎ」は本堂裏手の庫裡で頂けるそうである。(要予約)(写真は前山寺本堂)
 
 

Img_3582 Img_3569 Img_3583  三重塔の近辺は春には桜、藤、秋は銀杏、紅葉で彩られ、四季を通じて塔と花が落ち着いた景観を見せてくれる。参道や外郊の庭園にもしだれ桜をはじめ多くの花木が植えられており、遠く塩田平の広い景色を眺めながら散策できるようになっていて思わず長居してしまう場所である。(写真は参道と庭園の桜3景)

Img_3567Img_3568 参道入り口の近くには「信濃デッサン館」という小さな美術館がある。22才で亡くなった村山槐多や20才で亡くなった関根正二、また松本俊介、靉光など30才~40才くらいの若さで亡くなった「夭折の画家」と呼ばれる薄命の画家の作品が展示されている。平成3年に初めてここを訪れて、村山槐多の代表作である「尿する裸僧」を見た時の衝撃は忘れられない。(写真は信濃デッサン館2景)

Mugonkan1Mugonkan_entrance1 「信濃デッサン館」の分館として平成9年に「無言館」が近くに開館した。この美術館には第二次世界大戦中、志半ばで戦場に散った画学生たちの残した絵画や作品、イーゼルなどの愛用品を収蔵、展示しているという。小生はまだこの美術館には行ったことがないが次回は是非訪れたいと思っている。この「信濃デッサン館」「無言館」の創立者で館長の窪島 誠一郎氏は作家水上勉氏の令息である。(写真は無言館2景--ウィキペディアなどからの転載)

⑦ 生島足島神社

Img_3587  前山寺から上田市内に向かって2kmほど行くと上田交通別所線の下之郷という駅があり、その前に生島足島(いくしまたるしま)という神社がある。創建は不明だが平安時代初期に生島足島神に、神に奉仕するという神封戸1戸が寄進されたとの記録があり、延喜式にも記載されているという古社である。(写真は生島足島神社東鳥居)

Img_3589 Img_3591  この神社の祭神は万物を生み育てるという「生島大神」と国中を満ち足らしめる「足島大神(たるしまのおおかみ)」の2神だが、これは宮中でも祀られる神という事で、戦前は国幣中社に列されていた。そのこともあって、現在の朱色の社殿は昭和16年に国費で建てられたものである。(写真は本殿、解説板)

Img_3588Img_3590_3Img_3592 本殿は神池という水に囲まれた神島に建てられており、大地そのものが御神体として祀られている。この形式は日本でも最古の形式の一つだそうである。ここには生島足島神社起請文という国の重要文化財がある。武田信玄が家臣団から忠誠を誓約した起請文を書かせたもので八十三通の起請文が残されている。(写真は神島と本殿、本殿正面、本殿前に居た新郎新婦)

Img_3594  生島足島神社を最後に塩田平に別れを告げ、国道152号線を大門峠に向かった。白樺湖の畔にある大門峠からは雪が残る蓼科山が良く見えた。今日は大門街道を進み、山梨県北杜市の別荘に泊まるつもりである。(写真は大門峠からの蓼科山)

 今回の旅は晴天と満開の桜に恵まれて楽しい旅だった。明日は北杜市のまだ見ていなかった谷戸城跡の桜と3世代校舎の桜を見て帰宅する予定である。

注) 写真をクリックすると大きくなります。

(この項終わり)

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注)  ブログ「奥の細道漫遊紀行」のバックナンバーは、ホームページ「イバイチの旅のつれづれ」(http://www.ibaichi.com/)に分野別、方面別に整理してありますので、そちらをご覧ください。

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コメント

突然メールを送りましてすみません。ゆずと申します。
ある施設で、音楽を担当しております。

その施設にいらしている方から、ショパンの別れの曲の、
「過ぎにし 春の日 花の香 かおる夕べ
友とうち連れかたりし日の 思い出浮かぶ、、、、」
と言う歌を 、昭和30年代に歌ったが、その後が、思い出せないとの事で、ネットで探しておりましたら、
イバイチ様のホームページにたどりつきました。
うかぶ、、、の後の歌詞を、ご存知ではないでしょうか?
もしご存知なら、教えて頂けないでしょうか。

突然にすみません。
どうぞ宜しくお願い致しますq

イバイチです。
コメント有難うございます。

ショパンの「別れの曲」の歌詞、うろ覚えですが、それに付随した思い出を含めてブログ「続 往事渺茫(その1)」としてアップしますので、それをご覧になってください。

よろしくお願いします。

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