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2013年12月 1日 (日)

往事渺茫(おうじびょうぼう) その3

5. 高校時代①

 昭和24年(1949)4月から昭和27年(1952)3月まで、併設中学を卒業して新制高校生の時代を過ごした。入学試験は無く、中学から繰り上げでの高校1年生である。新制中学からの新入生も入ってきて、旧三十七部隊の仮校舎からバラックだがちゃんとした校舎に入った。戦後の混乱の中だった中学時代から少し落ち着いてきて、汽車通学も一時の混雑から見るとだいぶ楽になった。その頃住いが勝田市(現ひたちなか市)から那珂湊市(現ひたちなか市)に移ったため、那珂湊駅から茨城交通湊線に乗り、勝田駅から常磐線で水戸まで通学することになった。

 茨城交通湊線は廃線にならず、現在は平成20年から第3セクターによる「ひたちなか海浜鉄道」として存続している。当時の湊線は常磐線の勝田駅発着に合わせたダイヤで待ち時間は少なかった。乗車時間は20分ほどだが、2両編成の車両は常に混んでいて座席に座った覚えはあまりない。調べてみると湊線の営業成績は昭和28年がピークだったそうで、一番乗客が多い頃通学していたようである。

 一緒に通学した仲間は10人前後だったと思うが、丁度思春期だったこともあり、お互いに悩みを打ち明けあったりして結びつきが強く、その後進路が異なってもずっと交遊が続き、年輩になってからは一昨年の震災で定宿にしていた旅館が壊れるまで、毎年1回は遠方からも集まって宿泊して酒を酌み交わしながら近況や想い出話しをしていた。

 当時の事でずっと思い出話に出てくるのは、竹の針でクラシックの音楽を聞いたことである。自宅にメンデルゾーンの「ヴァイオリンコンチェルト」をクライスラーが弾いている3枚裏表のSPレコードがあった。中学時代から「音楽の泉」という番組でクラシックを聞きかじっていた愛好家の友人4,5人で何回も聞いた。現在では直径12cmの1枚のCDに、メンデルスゾーンとチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」が入っているが、当時は直径12インチ(30cm)のレコードで5分ほどしか録音できず、メンデルスゾーンだけで裏表を演奏する3枚のアルバムになっていたのである。

 それに使用するレコード針だが、通常の針は鉄で出来ているが、その頃レコード針は入手困難であり、しかも高価だったのでその代用品として竹で造られた針があった。1枚掛けるごとに専用のはさみですり減った針の先端をちょん切って掛けるのだが音質は悪くてもその第一主題、第二主題の甘美なメロディは直ぐに覚えて、その後もしばらくはピアノ曲よりヴァイオリン曲ばかりを聞いていた。

 友人たちが探してきたサンサーンスの「序曲とロンドカプリチオーソ」やマスネーの「タイースの瞑想曲」という美しい音色のヴァイオリン曲を聴いたり、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」の難しい旋律を聴いたりした。メニュ―インとかハイフェッツ、スターンなどの名ヴァイオリニストの名前を知ったのもその頃である。

 当時は学校の音楽の時間でも「夢になずみて 眠るいとし子---」という歌詞の「ツィゴイネルワイゼン」やショパンの「過ぎにし春の日 花の香かおる夕べ---」で始まる「別れの曲」、「歌の翼に あこがれ乗せて---」というメンデルスゾーンの「歌の翼に」などの授業があり、クラシックが身近にある感じだった。

 またアメリカのポピュラー音楽が好きな友人も居て、ドリス・デイの「センチメンタル・ジャーニー」や「デイ・バイ・デイ」、パティ・ペイジの「テネシー・ワルツ」などのレコードを聴かせてくれた。当時は1から2曲入りのドーナツ盤と呼ばれる中央が大きく空いている直径17cmの大きさのSPレコードやソノシートというビニール盤の簡易レコードがあった。

 日本の流行歌はラジオから流れる音を聞いて覚えた。ひばりの「悲しき口笛」「東京キッド」「越後獅子の唄」「リンゴ追分」、岡本敦郎の「白い花の咲くころ」「憧れの郵便馬車」、津村謙の「上海帰りのリル」、小畑実の「高原の駅よさようなら」「星影の小径」、奈良光枝の「赤い靴のタンゴ」、山口淑子の「夜来香」、伊藤久男の「イヨマンテの夜」などがはやっていた。

  ラジオ番組は前回にも書いた「話の泉」「向う三軒両隣」「鐘のなる丘」「日曜娯楽版」「二十の扉」「とんち教室」などが引き続き放送されていたが、昭和24年から新しくクイズ番組に「私は誰でしょう」、バラエティ番組に「陽気な喫茶店」が加わった。昭和25年には流行歌を放送する「今週の明星」が始まった。それ以前に歌番組があったのかどうかはっきりしないが、上記の歌は今でも覚えているのだから当時は何かの番組で良く聞いていたのだろう。

[付記]

 タイトルの「往事渺茫(おうじびょうぼう)」について

 最初の時、「往事渺茫」の語源は唐の詩人白居易(白楽天)の詩で、「過ぎ去った昔の事は遠くかすんでおぼろげである」との意味と書いたが、もう少し詳しく述べたい。

               往事渺茫都(すべ)て夢に似たり

往事渺茫都似夢  往事は渺茫として都(すべ)て夢に似たり
舊遊零落半歸泉  旧遊は零落して半ば泉(せん)に帰(き)す
醉悲灑涙春杯裏  酔(ゑ)ひの悲しみ、涙をそそく春の盃のうち
吟苦支頤曉燭前  吟の苦しみ、頤(おとがひ)を支ふ暁燭(げうしよく)の前

【通釈】
 昔のことは果てしなく遠くなり、すべては夢のようだ。
 昔の友達は落ちぶれて、半ばは黄泉(よみ)に帰ってしまった。
 酒に悲しく酔っては、春の盃の中に涙をこぼし、
 詩を苦しく吟じては、明け方の灯の前で頬杖をついている。

 この詩は唐の詩人「白居易」が作った詩で、友人と久しぶりに会ったが、語り尽くせないので作った詩ということである。この詩が知られているのは平安時代に和漢朗詠集や源氏物語、謡曲に引用され、この詩を題材にした和歌も藤原定家をはじめとして数多く作られているからである。

 白居易は白楽天として知られており、最も有名な唐の玄宗皇帝と楊貴妃の悲劇的な恋物語を綴った「長恨歌」という漢詩は、紫式部や清少納言、菅原道真などにも愛読されていたそうである。

(以下次号)
 

 

 

 

 
  
 

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コメント

湊線、元気に走っています。
たまに、乗りに来てやってください。
助かります。
(吉田)

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