« コラム1(ホームページ①) | トップページ | 参考文献 2 »

2009年7月12日 (日)

参考文献 1

参考図書(1) 

 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり。船の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。」ではじまる奥の細道の跡をたどってみようと思ったのは平成十二年の頃である。

 旅の楽しみもまたプラン・ドゥ・チェックであり、まず計画を立てるための資料集めからのスタートである。主な蒐集先は近くの公立図書館とインターネットである。図書館には奥の細道関連の本が何冊かあり、インターネットでも「奥の細道」で検索すると数多くのホームページが出てきて資料探しには事欠かない。

まずは「おくのほそ道」をたどる旅をし、「奥の細道漫遊紀行」をアップするに当たっての主要な参考図書について説明する。

1.「奥の細道」を歩く -歩く旅シリーズ-  松井利彦監修   山と渓谷社 1999年発行

Img_2209  奥の細道の本文と解説や芭蕉が歩いた「奥の細道」をたどる全30コースなどが要領よくまとめられており、はじめ図書館で読んだ後すぐに購入して毎回の「奥の細道」をたどる旅の出発前後に愛読している。

 巻頭に俳人山口誓子の「奥の細道」の秀歌という文があるが、それによると次の三句が選ばれている。 「閑さや 岩にしみ入る 蝉の聲」  「五月雨を あつめて早し 最上川」 「荒海や 佐渡によこたふ 天川」 がそれである。説明によると「おくのほそ道」の当初の目的である歌枕を巡る旅から開放されたあとに秀句が有り、そのなかでも「荒海や ----」 が最も良いと書いている。

 歌枕とは古歌に詠みこまれた枕詞(まくらことば)または歌の名所のことであるが、インターネットで調べると奥の細道に関連した歌枕の地には沢山の古歌があり、読むだけでも大変である。古歌どころかその場所場所で芭蕉や曾良が詠んだ句も、今まではあまり判らなかったのだが、関心を持って読んでいると少しづつ頭に入ってくる。 栃木県黒羽町の雲厳寺には今までも何回か行っているが、境内の芭蕉の句碑が 「木啄(きつつき)も 庵(いほ)はやぶらず 夏木立」 だと知ったのはこの本を読んでからのことである。

2.「おくのほそ道」全行程を往く        石堂 秀夫    三一書房  1994年発行

Img_2217  これも図書館で読んでから購入した。筆者がミニバイクで全行程を踏破し、まとめた本である。随所に細かい解説や感想が述べられていて非常に参考になると共に面白く読めた。

 例えば新潟には「降雨庵」という芭蕉堂がある。それは芭蕉が「海に降る 雨や恋しき 浮身宿」という句を新潟で詠んだという話があるためである(実際は詠んでいない)。

 この話は「奥の細道」の江戸時代の代表的解説書である「奥細道菅菰抄(すがごもしょう)」をはじめ多くの本に出ているためだと具体的に紹介し、「それにしてもこんなロマンチックな句を芭蕉が詠むだろうか----」と自分の感じたことを記している。

 他にも芭蕉は何故道に迷ったといって石巻に行ったのだろうかとか、石巻からは見えなかった金華山を見に行ったり、月山山頂で暴風雨に逢った話しとかがあり、楽しい紀行文でもある。

 この本は発行されてから15年過ぎ、発行部数も少ないので手に入らないかなと思いながらアマゾン(amazonn.co.jp)で調べたら、思いがけず取り寄せ可能とのことで購入できた。

3.奥の細道の旅ハンドブック         久富 哲雄     三省堂   1994年発行

Img_2210  この本も「奥の細道」の旅の案内書だが、前の2冊に比べると資料の説明が多くなかなか読みづらいところがある。しかしこの本の良いところは細かい手書きの地図がたくさん載っていることで、ナビを持っていない私には大変有難かった。それにしても10年以上前の手書き地図が今でも殆ど変わっておらず、ちゃんと使えたのも驚きだった。

 1994年(平成6年)は芭蕉没後300年忌の年であり、その前年あたりから奥の細道紀行三百年記念の像や句碑が沢山建てられたりして芭蕉ブームがあった時であっため、この2.3.などの図書も出版されたのだろう。

4.芭蕉 おくのほそ道(付曽良旅日記,奥細道菅菰抄) 荻原恭男校注 岩波文庫 1979年

Img_2214  この本には、素龍清書本「おくのほそ道」を底本にした全文のほかに「曽良旅日記(元禄2年日記抄・俳諧書留)」が入っていて、本文と対比して読むと実際の行程や行動との差異が良く判る。

 曽良の作として「那須野」の段にある有名な 「かさねとは 八重撫子の 名なるべし」 の句は俳諧書留には入っておらず、旅日記にも馬に乗ったとか童に会ったとかの記載は無く、ただどこからどこまで何里とか何丁とかあるだけなので、この句も童二人との出会いも芭蕉の創作ではないかといわれている。

 同じ様なことは市振でも有り、 「一家(ひとつや)に 遊女も寝たり 萩と月」 の句を曽良に語れば書き留めたとの話や遊女から同行してくれと言われて断ったという話についても曽良は何も記しておらず、これも芭蕉の創作だろうといわれている。 

 また江戸時代に発行された「おくのほそ道」注釈本のなかで、最も優れているとされる「奥細道菅菰(すがごも)抄」も入っているが、最近は多くの解説書があり、文体も古く読みづらいのでこれは殆ど読まなかった。

 

注:写真をクリックすると大きくなります。

« コラム1(ホームページ①) | トップページ | 参考文献 2 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/242967/30331718

この記事へのトラックバック一覧です: 参考文献 1:

« コラム1(ホームページ①) | トップページ | 参考文献 2 »

最近のトラックバック

カテゴリー

  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
2009年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ