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2009年3月25日 (水)

大垣(3)

「奥の細道結びの地」

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 「奥の細道結びの地」は、大垣城の外濠を兼ねて市内を流れる水門川が「住吉燈台と船町港跡」として史跡になっている場所の対岸である。芭蕉が奥の細道の旅に曽良を伴って江戸深川を出発したのは元禄2年3月27日(陽暦5月16日)で、爾来140日掛かって600里の道程を踏破し、敦賀まで出迎えに来た路通と共に大垣船町港に着いたのは8月20日(陽暦10月3日)といわれている。大垣中の多くの門人に迎えられ、無事到着を歓迎された。先行した曽良も9月3日に伊勢から来て再会を果たしている。(写真は住吉燈台と船町港跡)

 奥の細道では 「駒にたすけられて大垣の庄に入ば、曽良も伊勢より来り合、越人も馬をとばせて、如行が家に入集る。前川子、荊行父子、其外(そのほか)したしき人々日夜とぶらいて、蘇生のものにあふがごとく、且悦び、且いたわる。」 とその喜びを表している。続いて 「旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の迂宮(せんぐう)おがまんと、又舟にのりて、 蛤の ふたみにわかれ 行秋ぞ」 と結んでおり、大垣に15日間滞在して歓待され、俳莚を重ねた後、新たな旅に出立した。

 この結びの句は千住旅立ちの句 「行春や 鳥啼魚の 目は泪」 に対応しているが、また新たな旅立ちの句になっていて、旅の疲れを取ると、半月後にまた新しい目的地を求めて旅に出るのである。奥の細道の冒頭にある 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり。----日々旅にして旅を栖とす。」 と人生は旅であるとの芭蕉の人生観が、最後まで貫かれている。

 人名が多く出てくるが、「越人」は、越智越人(おちえつじん)で尾張に住み、紺屋を営んでいた。「更科紀行」「笈の小文」の旅に同行している。蕉門十哲の一人である。「如行」は近藤如行で、大垣での最初の門人である。当時大垣藩士だったが、後僧になって諸国を行脚した。曽良は山中から先行して陰暦8月14日に大垣に到着した時、如行宅に泊まっており、大垣蕉門の中心的人物である。「前川子」は津田前川(ぜんせん)で大垣藩士で大垣蕉門の一人である。「荊行父子」は宮崎荊行(けいこう)と3人の息子で荊行は大垣藩士であり、息子たちと共に大垣蕉門に名を連ねている。

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結びの地には「史跡奥の細道結びの地」の石標柱がありその傍らに伊勢に旅立とうとする芭蕉と、それを見送る大垣の俳諧の総帥谷木因が並んだ像がある。木因は芭蕉より二つ年下で十代の頃北村季吟のもとで共に俳句を学んだ人物で、結びの地の前で船問屋を営んでいたそうである。芭蕉とは親交を結び、「野ざらし紀行」では芭蕉を送って桑名・熱田まで同行している。大垣蕉門の隆盛には木因の力が大きかった。

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芭蕉は大垣に9月6日(陽暦10月18日)まで半月滞在し、この船町港から曽良と共に舟に乗り桑名に旅立った。木因らも途中まで同行し見送っている。芭蕉と木因の像の後ろに「木因俳句道標」という道しるべがある。谷木因が建てたもので 「南いせ くわなへ十り ざいがうみち」 の句である。

 その後に蛤塚がある。昭和32年に建立されたもので 「伊勢にまかりけるを ひとの送りけれは 蛤の ふたみにわかれ 行秋ぞ  はせを」 とある。毎年10月に近くの奥の細道むすびの地記念館で、蕉蛤塚忌(ばしょうこうちょうき)として献吟、献花などが行われる。同時に全国から募集した俳句を表彰する全国俳句大会が行われている。

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 桜並木の葉が赤く色づいた小路を通り、赤い手すりの住吉橋を渡ると、住吉燈台の近くに芭蕉送別連句塚があり、碑面には、『木因舟に而送り如行其外連 衆舟に乗りて三里ばかりしたひ候  「秋の暮 行先々ハ 苫屋哉   木因」 「萩にねようか 萩にねようか   ばせを」 「雰晴ぬ 暫ク岸に 立玉へ   如行」 「蛤のふたみへ別行秋ぞ   愚句(芭蕉)」  先如此に候  以上 はせを 九月廿二日』 という杉風あての書簡を拡大した伊勢に旅立つ日に詠まれた送別の連句が刻まれている。続いて如行霧塚として、芭蕉送別連句塚にもある 「霧晴ぬ 暫ク岸に 立給へ 如行」 の句碑がある。

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、その先には奥の細道文学碑という 「駒にたすけられて‐‐‐‐且つ悦び且ついたはる」 の大垣の段が刻まれた細長い石碑がある。更にその先には 「花にうき世 我酒白く めし墨し」 の芭蕉の赤い石柱の句碑がある。またむすびの地記念館の前には 「ふらすとも 竹植る日は みのと笠  芭蕉」。 田三反句塚として、木因亭に泊まって詠んだ 「木因何某隠居をとふ  はせを 『隠家や 菊と月とに 田三反』 」 など多くの句碑が設置されている。

 平成18年に訪れた時には、結びの地の前の道を挟んだ建物に「芭蕉元禄船町湊お休み処」という土産物店兼喫茶店兼案内所があった。その時の所長の話では、おくのほそ道を徒歩で巡った人や、3回も巡った人も来られたということで、札所巡りと同じ感覚でたどっている人が多いのだと思った。私自身は東北を旅するなら先ず奥のほそ道からと軽い気持ちだったのだが、芭蕉関連の本を読んだり、ユーキャンの俳句講座で俳句の添削を受けたりして、俳諧や芭蕉についてだいぶ理解が深まった気がする。

 また大垣市ではここの整備を進めていて、来春には案内所も今の3倍くらい大きくなるのだという話もしていたので楽しみだったのだが、平成21年に再訪した時には案内所ばかりでなく土産物や喫茶室も跡形も無くなっていた。大垣市もいろいろ大変なのかもしれないが、今後、芭蕉を偲び、おくのほそ道をたどる人たちが来た時、この結びの地でゆっくり休み、お茶の一杯も飲みながら思い出を語りたいと思っても、ベンチが一つあるだけの殺風景な休み場所しか無くなってしまったのはつくづく残念である。

 (H18‐11‐20訪・H21‐2‐21再訪)

  注1:写真をクリックすると大きくなります。

  注2:青字の句は「おくのほそ道」にある句です 

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