大垣(2)
ミニ奥の細道(水門川遊歩道[四季の道])
JR大垣駅を右手に少し行くと、愛宕神社という社がある。そこから大垣城の外濠になっている水門川に沿ってむすびの地まで遡る2.2kmを、ミニ奥の細道(水門川遊歩道「四季の路」)と名付け、奥の細道で芭蕉が詠んだ句の中から代表的な22句を選び、旅の順序に従って句碑が置かれている(平成16年に芭蕉生誕三百六十年記念として大垣市が設置)。出発点には、千住での矢立初の句である 「行く春や 鳥啼魚の 目ハ泪」 の句碑がある。
水門川には橋が多く、その橋の間毎に句碑がひとつずつ在る様に配置されている。主な橋は橋の名や地名に因んでデザインされており、また橋の間隔が長いところは毎年行われる大垣市のコンクールで優秀賞をもらった句が対岸の石に大きく刻まれ、たどる人が飽きないように工夫されている。水門川は大垣城の西側から北川に流れ外濠の役を果たしているが、肝心の大垣城は平城なので水門川からは見えて来ない。
句碑はいろいろな種類の石に達筆で刻まれており、デザインされた橋の多さと共に、大垣市は文化的に豊かな町のように感じた。人口は16万6千人とかで水の豊かな都市である。ミニ奥の細道句碑の22句を順に下記に記す。平成13年から始めた奥の細道をたどった8年間の情景を思い出しながら足を運んだ。
水門川は水量が多く、水も澄んでいて水草が茂り、鯉などの魚も多く泳いでいる。 千住を発つ時に詠んだ矢立初の句碑を見て細い牛尾橋を過ぎると、日光で詠んだ 「あなたふと 青葉若葉の 日の光」 の句碑がある。この句碑は派手な東照宮から少し離れた宝物館近くの閑静な場所にあったことを思い出す。
広い平和橋を渡ると那須町芦野の遊行柳で詠んだ 「田一枚 植て立去ル 柳かな」 の句碑がある。その前に、那須野で詠んだ 「かさねとは 八重撫子の 名なるべし 曽良」 の良い句があるのだが、曽良の名になっているためか入っていない。岐阜町橋の先には白河の関を越えた時の 「風流の 初めや奥の 田植歌」 では無く、須賀川での 「世の人の 見付けぬ花や 軒の栗」 の句碑が置かれている。黒羽から雲巌寺、芦野は、奥の細道を辿る旅を志して、平成13年に最初に行った所であり、思い出に残る場所である。
次は最上橋を渡り、信夫の里、飯塚を過ぎて、笠島での 「笠嶋は いつこさ月の ぬかり道」 の句碑がある。その後の、武隈から仙台、塩竈、松島、石巻は省略されて、赤坂口橋から右に大きく曲がったところの貴船広場に、ひと際大きい石に彫られた平泉での 「夏艸や 兵共か 夢の跡」 の句碑がある。平泉は義経堂のあった高館からの北上川の流れや中尊寺金色堂、毛越寺庭園など印象深い場所が多かった。
貴船橋を過ぎると封人の家で詠んだ 「蚤虱 馬の尿する 枕もと」 の句碑がある。山刀伐峠に登る旧道の、車一台分の巾しかない山間の道を思い出す。更に小原橋の先に尾花沢での 「涼しさを 我宿にして ねまる也」 の句碑が続いている。大垣のメインストリートに架かる新大橋を渡ると、山寺立石寺での 「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」 の句碑がある。山寺の長い石段を登った後の五大堂からの眺望は素晴らしかった。
新外側橋を通ると最上川舟下りの 「さみたれを あつめて早し 最上川」 の句碑がある。ここに行った時は車だったので、舟下りは楽しめなかった。高岡橋の先には出羽三山の代表句として 「有難や 雪をかほらす 南谷」 の句碑がある。ここは月山の 「雲の峰 幾つ崩れて 月の山」 の句が欲しかった。平成20年に75才になってなんとか月山に登れた。眺望は無かったが多くの高山植物が鮮やかに咲いていたのが目に浮かぶ。
龍の絵が彫られている龍の口橋を渡ると、裏日本に入った酒田での 「暑き日を 海に入レたる 最上川」 の句碑がある。地元の人と話しながら日本海に沈む夕日を感動を持って眺め、スワンパークで物凄い数の白鳥が飛立った光景を思い出す。象潟での 「象潟や 雨に西施が 合歓の花」 は割愛され、武者溜橋を渡ると出雲崎での 「荒海や 佐渡によこたふ 天河」 の句碑がある。出雲崎は芭蕉より良寛の町だった。次の花月橋の所で川は直角に左手に曲がり、次の八幡大橋まで広く続いて橋上広場と名付けられている。その向いに八幡神社があり、湧水が滾々と湧き出ていて車で水を汲みに来る人が何人も居た。ここには芭蕉の 「折々に 伊吹をみては 冬ごもり」 の句碑が置かれている。
次の句碑は、市振での 「一家に 遊女も寝たり 萩と月」 である。市振の宿は艶やかな話の舞台だったが、現在は通る人も少ない寒村の風情で、その前の親不知海岸の印象が強い。丸の内橋を渡ると那古の浦での 「わせの香や 分入右は 有そ海」 の句碑がある。この辺は大伴家持の歌碑が多かった。興文橋を過ぎると、金沢での 「あかあかと 日は難面も 秋の風」がある。兼六園、犀川の畔、成学寺の3ヶ所に同じ句碑があった。この辺りの水門川の対岸には、市民の俳句を刻んだ碑が幾つも置かれている。こちらの岸からもよく読める大きさで、大会で入賞し句を刻んでもらった人はさぞ嬉しかったと思う。
清水橋を過ぎると、小松での 「しおらしき 名や小松吹 萩薄」 次の西外側橋の先には那谷寺での 「石山の 石より白し 秋の月」 の句碑があり、次の山中温泉の 「山中や 菊はたおらぬ 湯の匂」 の句は入らず、竹橋を渡った先に加賀全昌寺での 「庭掃て 出はや寺に 散柳」 の句碑がある。
俵橋を渡ると川は左折し、川幅も広くなり四季の広場という舟が置かれ、滝の水が流れる綺麗な公園に出る。そこに敦賀での 「名月や 北国日和 定なき」 の句碑が置かれている。川は更に右折し、川幅も元の広さに戻ったところに色の浜での 「さひしさや すまに勝ちたる 浜の秋」 の句碑がある。
色の浜での句碑と道を挟んで「奥の細道むすびの地記念館」がある。ここには芭蕉の大垣来遊、特に大垣俳壇の雄、谷木因との交流についての資料が多く、正面奥には水門川を臨む木因亭で芭蕉と路通を迎える木因との再会の場面を示した人形がある。記念館の前辺りから川に沿って多くの俳人の句碑が並ぶようになり、やがて船町港跡の「奥の細道むすびの地」に到着する。ここには、「蛤塚」として 「 蛤の ふたみに別 行秋ぞ」 の句碑が置かれ、千住の矢立初の句碑から大垣蛤塚まで22句の碑をたどる「ミニ奥の細道 芭蕉句碑めぐり」は終る。
(H18‐11‐20訪・H21‐2‐21再訪)
注1:写真をクリックすると大きくなります。
注2:青字の句は「おくのほそ道」にある句です

























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