参考図書(3)
「おくのほそ道」とは直接の関係は無いが、関連する資料も沢山読んだ、その主要なものを列挙する。
1.「街道をゆく」-白河・会津のみち,仙台・石巻,羽州街道,潟のみち,越前の諸道- 司馬 遼太郎 朝日新聞社 1989年発行
「街道をゆく」の文章はしょっちゅう横道に逸れて、「ところで」とか「ついでながら」の話が続くことが多いが、それによって内容が幅広く厚みを増すのが魅力であり、筆者の独特な文体と合わせて、いつも引き込まれて読んでしまう。そしてそのなかには、「おくのほそ道」に関係する内容の文章が数多く見られる。
「白河・会津のみち」では白河の関から、須賀川、安積、もじずり石、信夫(しのぶ)の里あたりがその背景を説明しながら「おくのほそ道」と関連付けて述べられているが、他にも伝教大師最澄と世紀の論争をした会津の徳一上人の話や戊辰戦争で朝敵にされ、敗れた後青森県下北半島の斗南藩に移され、明治以降も差別されるなどの悲劇にさらされた会津藩の話なども読み応えがある。
「仙台・石巻」では岩沼の竹駒神社から宮城野、多賀城、さらに松島、石巻まで「おくのほそ道」や芭蕉の句を含めていろいろ述べている。多賀城での「壷の碑(いしぶみ)」の碑文に書かれている大野東人(あずまびと)の事跡の詳しい紹介や、 「松島や ああ松島や 松島や」 の句について、芭蕉はこのようなノンキなトウサンのような句を作るはずが無いではないか。と長々と書き連ねているのも面白い。
「羽州街道」では山寺立石寺から 「まゆはきを 俤にして 紅粉(べに)の花」 の句にある紅花の話、さらに最上川を目前にしての感想などが続いている。また大河ドラマ「天地人」の主人公である上杉景勝と直江兼続についても詳しく考えを述べており、今読んでも時宜にあった読み物になっている。
他にも「秋田県散歩」には象潟についての話があり、「潟のみち」では新潟の湖沼地帯の話、さらに「越前の諸道」には永平寺の話など、司馬遼太郎の「街道をゆく」には「おくのほそ道」に関連する話がいっぱい詰っている。
2.「百寺巡礼」-東北,北陸- 五木 寛之 講談社 2003年発行
「おくのほそ道」には寺社が多く出てくる。神社では日光東照宮,岩沼竹駒神社,塩竈神社,出羽三山神社,小松多太神社,敦賀気比神社など、また寺院では黒羽雲巌寺,飯塚医王寺,仙台陸奥国分寺,榴岡(つつじがおか)天満宮,松島瑞巌寺,平泉中尊寺,山寺立石寺,象潟蚶満寺,小松那谷寺,大聖寺全昌寺,松岡天竜寺,福井永平寺などである。
五木寛之は「百寺巡礼」でこのうち幾つかの寺院について書いている。東北編では松島瑞巌寺,平泉中尊寺,山寺立石寺が、「おくのほそ道」に出てくるが、芭蕉句碑のある毛越寺を含めると関連寺院は4寺になる。この筆者の文体は多くのエッセイに見られるように他力、アニミズム(自然信仰)などの宗教観に裏打ちされた思想が読み取られ、平易だが核心を突く描写が魅力であり、司馬遼太郎と共に愛読する作家の一人である。
北陸編では小松那谷寺,福井永平寺の2寺だけだが、「奥の細道漫遊紀行」では高岡瑞龍寺,金沢大乗寺,吉崎御坊についても書いたこともありだいぶ参考にさせて貰った。また戦国時代には、この地方には蓮如上人の影響もあって約百年間も「百姓の支配する国」が続いたことも知った。
それ以外の北陸の寺についても、茨城からはるばると行ったこともあり、ついでながら北陸の「百寺巡礼」にある10寺のうち、能登の阿岸本誓寺,妙成寺,南砺市井波町の瑞泉寺にも廻って、小浜にある神宮寺,明通寺を除く8寺に参詣してきた。
3.西行の風景 桑子 敏雄 NHKブックス 1999年発行
芭蕉はみちのくの歌枕の地に憧れて「おくのほそ道」の旅に出たのだが、その最大のものは西行法師ゆかりの地をたどる事だったと言われている。芭蕉が「おくのほそ道」の旅で目指したのは津軽の「外の浜」だったという説がある。それは西行の「陸奥(みちのく)の おくゆかしくぞ思ほゆる 壷の石ぶみ 外の浜風」との歌を詠んでいることによるというのである。
芭蕉は「壷の碑」を見ることが出来た。その後平泉で中尊寺を拝観した後いよいよ津軽に足を伸ばそうとしたが、曽良が必死に止めたので思い留まり、山刀伐(なたぎり)峠を経て酒田に向かったと「おくのほそ道」を巡った翌年に書いた「幻住庵記」に載っている。
そのように大きな影響を与えた西行法師について知りたいと思って読んだのがこの本なのだが、内容は優れた歌人である西行の本質は神仏習合、本地垂迹の思想を和歌によって表現することにあり、その集大成が晩年伊勢神宮の内宮外宮に奉納した「御裳濯河(みもすそがわ)歌合」「宮河歌合」であるということで、期待したものとは違っていた。
しかし、西行は鎌倉時代初期に編纂された勅撰和歌集「新古今和歌集」に94首も選ばれ最も入選歌が多かったことからも、「新古今和歌集」の選者の一人だった藤原定家と共に平安末期の代表的歌人であることに疑いは無い。
西行は陸奥には2回旅している。最初の旅は26才から30才の頃らしい。2回目は69才の時で奈良東大寺再建の砂金勧請を藤原秀衡に依頼するためで、途中鎌倉で源頼朝と会見したことが吾妻鏡に記されている。
西行が陸奥で詠んだ歌は白河、武隈、笠島、宮城野、衣川、束稲山などに残されているが、殆ど最初の旅の時である。冒頭の「外の浜」とは津軽半島の青森湾に面した場所を指しているということであり、当時の状況から実際には行っていないと思われる。またその当時は壷の碑というのは「外の浜」にある碑のことを指していたとの説もある。
4.炎(ほむら)立つ 高橋 克彦 日本放送出版協会 1994年発行
前九年の役から奥州藤原氏の滅亡までを画いた歴史小説で全5巻の大作である。NHKの大河ドラマにもなり、現在は文庫本が講談社から出版されている。源頼義と八幡太郎義家に対する安倍頼時、貞任による前九年の役、後三年の役から藤原清衡、家衡、秀衡の藤原三代、更に四代目泰衡と源頼朝による奥州合戦で奥州藤原氏が滅亡するまでを主に蝦夷側の視点から画いている。
同じ作者による平安時代初期の坂上田村麻呂と阿弖流爲(アテルイ)との争いを画いた「火怨」(1999年発行)と共に、大和朝廷と陸奥との関係がよく現されており、支配者側の視点とは異なった平泉を中心とする陸奥のバックグラウンドがよく分かる。
注1:写真をクリックすると大きくなります。
注2:青字の句は「おくのほそ道」にある句です。
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